飢 渇 畠 (kekachi-hatake-basho-ato)
飢渇畠は昔この附近が刑場であったためだと言われている。
永い間荒地で江戸時代
飢 渇 畠
けかちばたけ
と呼ばれていた。
裁許橋から南へ200m、由比ガ浜大通りと交差する角に「 六 地 蔵 」がある。…
六 地 蔵 は明治の中頃、八幡宮脇の旧道から移した聞く。現在の六地蔵は 昭和19年 (1944年) に
震災で犠牲になった人々を供養することで建てられた。
ありし日の飢 渇 畠・写真集
飢 渇 畠の四季・スライドショー
『吾妻鏡』等 における記述
年 表
碑 文 の 内 容 紹 介
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