十一人塚 (zyuitinin-tuka)

十一人塚は(稲村ガ崎)七里ケ浜へ向い300m先を右折・極楽寺坂への道の右側に建立している。

元弘3年(1333年)5月22日、新田義貞方の大将・大館二郎宗氏はこの極楽寺口より鎌倉攻めを行ったが

鎌倉方の本間山城左衛門の兵に破れ、戦死した。

ここに遺骸を埋め、上に十一面観音堂を建てたと伝えられている。



ありし日の十一人塚・写真集

十一人塚・絵図集

『吾妻鏡』等 における記述

年       表
十一人塚
碑 文 の 内 容 紹 介
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