【 絹本著色 一幅 室町時代 浄 永 寺 ( 神奈川県 小田原市 ) 】
本画像の日蓮は、僧網衣の上に袈裟、横被を着け、礼盤上に坐す。
右手に数珠を懸け、掌を内に向けて払子を持ち、左手は法華経開結十巻の内一巻を開いて持つ。説法する日蓮の前には
残り九巻の法華経の並ぶ経卓と白蓮華を挿した花瓶、更にそれに巻き付く龍が描かれている。
七面天女伝説は、深草元政による寛文六年(1666)の「七面大明神縁起」や『身延艦』等に説かれている。
「七面大明神縁起」によると、身延で日蓮の説法を聞く聴衆の中にいた妙齢の女性に、日蓮が水の入った花瓶を与え、
本来の龍身の姿に戻した。竜神は、山の守護を誓い西方の七面山に姿を消したので、波木井(南部)実長がその七面天女影向
の様を画師に描かせたという。
『身延艦』も内容は大同小異だが、画師を狩野大蔵としている。
七面天女勧請の最古例は、天正二十年(1592)の日宝による「曼荼羅本尊」である。七面山開闢もほぼその頃と推定され、
本図も七面天女信仰の普及を図って制作されたものと考えられる。なお、七面天女信仰は、江戸時代に盛んになるが、
徳川家康の側室養珠院お万の方との関連も深い。
承応二年(1653)に行われた本遠寺所蔵本の修復は、彼女が施主と伝えている。
(中央大学非常勤講師 佐伯英里子 解説 による)
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