【 紙本淡彩 一幅 桃山時代 久 遠 寺 ( 山梨県 身延 ) 】
本画像はもと山名貫蔵の所蔵品であったが、昭和三十二年(1957)池上日康が購入し、久遠寺に施入された。
画面に書された「ホッケシュウエイ 元和四年卯月二十日写之経隆也 俗に生ミエイト云」により、
「生御影模本」と通称される。
本図は、細線のみで図様を描き諸処に色の指示などを記した、本図のための下図である。
また画面左端には「広通むの墨書があり、表装裏には「住吉画所 日蓮上人御影 如慶模」と記されている。これにより、
元和四年(1618)に 経慶の写した原図を、土佐広通(1567〜1670)、即ち住吉如慶が模写したと判断される。 なお
土佐広通を名乗り、剃髪して如慶と号するのは晩年であるから、裏書きは本人とは別人のものとなる。
しかし文様表現などに見られるその緻細謹直な作風から、如慶の筆と考えて差し支えあるまい。
本図の日蓮は、僧網衣に五条袈裟をつけ、上げ畳に坐し、右手に数珠を懸け両手で法華経を開く。日蓮の前には、
残りの経巻九巻を載せた経卓が据えられる。前机、花瓶、馨を加えると、その構成は、浄光院所蔵の「水鏡御影」と
ほぼ等しい。凛とした若年僧の風貌も共通する。
また、京都要法寺、堺妙国寺にも同系統の作品がある。
(中央大学非常勤講師 佐伯英里子 解説 による)
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