玉縄城跡 (tamanawa-shiro-ato)の石碑文の説明


☆ 玉縄城跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   城は永正九年(1512年)に北条早雲が築いた。其の同族が居住して来た。
  天文年間(1532年〜1555年)に 北条綱成ほうじょう つなしげ が城主に代わって居城した。
   綱成 は駿河国(静岡県)は、今川氏 の一族 福島氏 の孤児であったが、早雲の長男 氏綱に
  養われ、その後、北条氏の姓を名乗り、氏綱の娘を妻とした、其のうえ 此の城居を与えられた。

   此の時以来、子孫の 「氏繁」うじしげ  、 「氏勝」うじかつ があとを継ぎ、小田原北条氏 が 秀吉により
  滅亡し暫くの間 廃城となっていた。

   此の城は、鎌倉、藤沢の地域にあって高台の岡の上にある。
  また古くから基幹道路の要所である。 四方を塞いだ中心地点に位置している。
  加えて、この城の城主は、武勇して猛将が居住していたので、その当時は、此の当りを風靡した。
   彼の黄八幡の旗風を靡かせていたことだろう。

           大正十五年一月

                                     鎌 倉 同 人 会 建之




《ページ内リンク目次》
(1) 玉 縄 北 条 氏 の 略 系 図
(2) 北 条 氏 の 主 要 支 城 ・ 地 図

(1)  後 北 条 氏 の 略 系 図 


(2)  北 条 氏 の 主 要 支 城 
   【略系図並びに主要支城】は 出展;「(特別展)後北條と東国文化」(神奈川県立博物館 編集・発行)による