城は永正九年(1512年)に北条早雲が築いた。其の同族が居住して来た。 天文年間(1532年〜1555年)に 北条綱成 が城主に代わって居城した。 綱成 は駿河国(静岡県)は、今川氏 の一族 福島氏 の孤児であったが、早雲の長男 氏綱に 養われ、その後、北条氏の姓を名乗り、氏綱の娘を妻とした、其のうえ 此の城居を与えられた。 此の時以来、子孫の 「氏繁」 、 「氏勝」 があとを継ぎ、小田原北条氏 が 秀吉により 滅亡し暫くの間 廃城となっていた。 此の城は、鎌倉、藤沢の地域にあって高台の岡の上にある。 また古くから基幹道路の要所である。 四方を塞いだ中心地点に位置している。 加えて、この城の城主は、武勇して猛将が居住していたので、その当時は、此の当りを風靡した。 彼の黄八幡の旗風を靡かせていたことだろう。 大正十五年一月 鎌 倉 同 人 会 建之 |
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