玉縄城趾 (1) (tamanawa-shiro-ato-(1))

玉縄城永正九年(1512年)10月に小田原北条氏の祖・伊勢宗端(通称北條早雲)が、三浦道寸の最後の拠点とする新井城 

  (三浦市油壺)攻略に備えて築城したとされる。
  玉縄城主は氏時・為昌・綱成・氏繁・氏勝と継ぎ、三浦半島を中心に、江戸湾、相模湾の水陸の要地に配置されていた。
  天正18年(1590年)氏勝は、徳川家康攻囲軍の大将本多忠勝により、氏勝の叔父(大応寺=現在の龍王寺の良達和尚)
  により4月21日開城した。  廃城は元和五年(1619年)である。



ありし日の玉縄城跡・写真集

玉縄城・模型・遺構図

龍寶寺の晩秋寸景・スライドショー

玉縄北条氏・略系図

年       表
玉縄城趾
 碑 文 の 内 容 紹 介 
「鎌倉史跡導標」のTOPページに戻る