若宮大路幕府旧跡 (wakamia-oogi-bakufu-kiuseki) の石碑文の説明


☆ 宇都宮辻幕府旧跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・


   鎌倉の幕府は、最初は大蔵の地(現在・清泉女学校)にありましたが、嘉禄元年(1225年)に 、
  北条政子が亡くなると共に 四代将軍 藤原の頼経将軍は、宇都宮辻子の幕府の幕府に遷し、さらに
  十一年の後、 嘉禎二年(1236年)に再び、此の地・若宮大路に幕府を遷しました。
  その後は、幕府は幕府滅亡の元弘三年(1333年)まできう九十八年間此の地にありました。
   此の地は、第四代将軍頼経より(藤原頼嗣・宗尊親王・惟康親王・久明親王)六代の間・第9代守邦親王まで
  幕府の政庁であった。
、   元弘三年、新田義貞が鎌倉に攻め入り、北条氏の滅亡に及び鎌倉幕府は廃絶してしましました。

          大正七年三月建之
                                         鎌 倉 町 青 年 会





        文学散歩 …里見 ク筆の表札の掛った 大佛次郎 を紹介する。
                大佛次郎と「鎌倉風致保存会」
                『路地礼賛』の此の辺りを紹介した文章紹介。



【鎌倉時代の幕府所在地の変遷】

 源 頼朝が 鎌倉に幕府を開いて以来、
 北条氏の滅亡に至るまでに、
 幕府は三度移転しました。
「 大 倉 幕 府 」
1180年〜1225年
(46年間)
「宇津宮辻子幕府」
1225年〜1236年
(11年間)
「若宮大路幕府」
1236年〜1333年
(97年間)
【鎌倉時代の幕府所在地の変遷】の出展;「大倉幕府北遺跡発掘調査報告書」(神奈川県・鎌倉市)による

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