「大倉幕府旧蹟」は今から737年 (この碑が建立した大正6年から数えて737年、平成21年の現在から829年前) の昔、 治承4年(1180年)に源 頼朝が邸宅を造り、その後 天下の政権をにぎるようになってからは、 此の邸宅に於いて、頼朝は日本最初の武家による政治を行った場所である。 一般に『大倉幕府』とはこの辺りが大倉の地と呼ばれていたことから、そのように呼ばれたのである。 以来、源 頼朝、二代将軍 源 頼家、三代将軍 源 実朝 を経て、嘉禄元年(1225年)北条政子が亡くなり、 幕府が「宇津宮辻子」の地に移るまで、この間、46年間に渡り、此の地が天下の政治の中心となっていたのである。 北条政子の死後、幕府は「宇津宮辻子」に移されました。 大正六年三月建之 鎌倉町青年団 |
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【鎌倉時代の幕府所在地の変遷】の出展;「大倉幕府北遺跡発掘調査報告書」(神奈川県・鎌倉市)による |
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