「鎌倉幕府」は初め大倉の地にあったが、嘉禄元年(1225年)に北条政子が逝去したときに 幕府を他の所に変えようとの意見が出た。 北条時房、同泰時等が評議した結果、同年(1225年)11月にこの地に幕府の造営することを定めた。 12月に4代将軍・ 藤原頼経 (8歳) が移り住むようになった。 その後 嘉禎2年(1236年)に、頼経将軍がさらに「若宮大路幕府」に移るまで12年の間、 武家政治の中心となっていた。 大正十年三月 建 之 鎌 倉 町 青 年 会 |
![]() |
鎌倉幕府第4代将軍。 《頼朝との関係 並びに 歴代将軍歴伝について 下記系譜図を参照》 父は 九条道家、母は 西園寺公経の女綸子。 実朝の暗殺された建保7年(1219年)の7月2歳で下向。 寛元2年(1244年)4月、子供の頼嗣に将軍職を譲り、翌年出家、法名を行賀と称した。 同4年(1246年)にその権威増大を怖れた北条時頼によって京都へ追放された。 |
【藤原頼経】は 出展;「鎌倉辞典」(白井永二編)による |
【鎌倉幕府将軍】(源 頼朝と藤原頼経の関係) | 【宇津宮辻子幕府 規模想定図】 |
![]() |
![]() |
【鎌倉幕府将軍表】は 出展;「歴史散歩便利帳」を参照し作成 | 【宇津宮辻子幕府 規模想定図】は 出展;「鎌倉市史」による |
![]() |
北条氏の滅亡に至るまでに、 幕府は三度移転しました。
|
|||
【鎌倉時代の幕府所在地の変遷】の出展;「大倉幕府北遺跡発掘調査報告書」(神奈川県・鎌倉市)による |
![]() |
![]() |
![]() |