宇 津 宮 辻 子 幕 府 旧 跡 の 石碑文 の 説明


  
☆ 宇津宮辻幕府旧跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・



    「鎌倉幕府」は初め大倉の地にあったが、嘉禄元年(1225年)に北条政子が逝去したときに

    幕府を他の所に変えようとの意見が出た。

    北条時房、同泰時等が評議した結果、同年(1225年)11月にこの地に幕府の造営することを定めた。

    12月に4代将軍・ 藤原頼経 (8歳) が移り住むようになった。

     その後 嘉禎2年(1236年)に、頼経将軍がさらに「若宮大路幕府」に移るまで12年の間、

    武家政治の中心となっていた。

             大正十年三月 建 之
                                     鎌 倉 町 青 年 会



【 人 物 紹 介 】

藤原頼経 (ふじわら よりつね)      1218年〜1256年(建保6年〜康元元年)

鎌倉幕府第4代将軍。   《頼朝との関係 並びに 歴代将軍歴伝について 下記系譜図を参照》
父は 九条道家、母は 西園寺公経の女綸子。
実朝の暗殺された建保7年(1219年)の7月2歳で下向。
寛元2年(1244年)4月、子供の頼嗣に将軍職を譲り、翌年出家、法名を行賀と称した。
同4年(1246年)にその権威増大を怖れた北条時頼によって京都へ追放された。



【藤原頼経】は 出展;「鎌倉辞典」(白井永二編)による

【鎌倉幕府将軍】(源 頼朝と藤原頼経の関係) 【宇津宮辻子幕府 規模想定図】
【鎌倉幕府将軍表】は 出展;「歴史散歩便利帳」を参照し作成  【宇津宮辻子幕府 規模想定図】は 出展;「鎌倉市史」による


【鎌倉時代の幕府所在地の変遷】

 源 頼朝が 鎌倉に幕府を開いて以来、
 北条氏の滅亡に至るまでに、
 幕府は三度移転しました。
「 大 倉 幕 府 」
1180年〜1225年
(46年間)
「宇津宮辻子幕府」
1225年〜1236年
(11年間)
「若宮大路幕府」
1236年〜1333年
(97年間)
【鎌倉時代の幕府所在地の変遷】の出展;「大倉幕府北遺跡発掘調査報告書」(神奈川県・鎌倉市)による

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