玉 縄 首 塚 由 来 (tamanawa-kubizukayurai)
玉縄首塚由来は・・・ 石碑の上部に「
怨親平等
えんしんびょうどう
」(すべての人は敵味方なく皆平等である)とある。
玉縄初代城主・北条
氏時
うじとき
は、大永6年(1526年)房州の里見
実堯
さねたか
が鎌倉に乱入した祭、 戸部川(現在の柏尾川)を挟んで
これを防戦し玉縄城を守った。
この時の敵味方の戦死者を葬り此処に塚を築き塔を建てました。 記念碑は大船の塩釜神社前の橋を渡った戸部会館前にある。
玉縄首塚の石碑風景・スライドショー
年 表
碑 文 の 内 容 紹 介
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